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大人気中華BL小説「死亡万華鏡」
邦訳版第1巻の第三章までを無料公開!
(第二章・第三章はこちら)

2026年02月10日

(火)

お知らせ


2018年1月に中国の晋江文学城で連載開始後、多言語で翻訳出版され世界中にファンを持つ異世界サスペンスBL小説「死亡万華鏡」(しぼうまんげきょう)(原題:死亡万花筒)。その邦訳版の第1巻が、2026年2月14日(土)頃に発売予定!

発売に先がけて、第三章までを無料公開いたします!
※こちらのページでは第二章・第三章をご覧いただけます。第一章は別ページよりご覧ください。
読み仮名はこちらのページ上では()内に記載していますが、実際の書籍ではルビが入ります。

邦訳版では、本編に加えて作者コメント・小劇場も収録予定。現在、通常版と特典付き特装版の予約を受け付けています。
なお、本作を実写ドラマ化した「致命遊戯」Blu-rayもただいま好評予約受付中です。ドラマとともに、ぜひ小説でも作品世界をお楽しみください!

▼第一章はこちら

https://asiall.jp/s/lineup/news/detail/10009

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第二章 鉄の扉と鍵
 夜が明けると、昨夜の恐怖は随分和(やわ)らいでいた。
 林秋石(リンチウシー)が二階の廊下から下に降りようとすると、三階からがやがやと騒がしい声が聞こえてくる。どうも大勢で何かを話し合っているようだ。はじめは見に行くつもりなどなかったが、女性の大きな悲鳴が耳に飛び込んできた。それはまるで大惨事に遭ったような、この上なく悲痛な叫び声だ。
 林秋石(リンチウシー)は少し迷ったものの、やはり上で何が起きたのか確認しようと、三階に上がる階段へと向きを変えた。
 この建物は木造で、階段の板がいくらか老朽化している。踏むたびにミシミシと音を立て、場所によってはグラつきもあり、早晩、人の体重に耐えられなくなりそうなほどだ。
 三階に着くと、数人が廊下に立っているのが見えた。だが何より林秋石(リンチウシー)の注意を引いたのは、その場に漂う強烈な血のにおいだ。
 鼻を刺すほど強いその血生臭さに、少し嫌な予感を覚えながらも、慎重に歩を進め、数人の背後に歩み寄る。
「ほらみろ」
 昨日、林秋石(リンチウシー)たちを迎えたあの大柄な男、熊漆(ションチー)が低い声で誰かと話していた。
「やっぱり昨日、事件が起こったじゃないか……」
 小柯(シャオカー)も話の輪の中にいる。
「私もそう思ってたわ。最初は……」
 そう言いかけたところで後ろを振り返り、林秋石(リンチウシー)のほうをちらりと見て言った。
「もういいわ」
 どういう意味だ。その言いかけた先の言葉は何だ? まさか僕と阮白潔(ルアンバイジエ)が先に死ぬとでも? そう思った林秋石(リンチウシー)が視線を上げると、小柯(シャオカー)の背後に扉が見えた。
 扉は半開きで、床に大量の血が広がっている。寒さのせいで血は既に固まっていたが、それでもかなりの量であることは見て取れる。
 林秋石(リンチウシー)が尋ねた。
「何があったんですか?」
「死人が出た」
 熊漆(ションチー)の口調は淡々としている。
「……死人が出たって?」
 昨日だったら、そんなことをどうしてこんなに平然と言ってのけるのかと、林秋石(リンチウシー)は訝(いぶか)しく思っただろう。けれども昨夜の出来事で、はっきりと理解した。今自分がいる場所は、もはや常識では説明できない世界なのだと。
「ああ」
 熊漆(ションチー)が言う。
 林秋石(リンチウシー)は角度を変えて、扉の向こうに視線を向ける。その瞬間、思わず息をのんだ。部屋の至る所に固まった血があり、二つの死体が乱雑に床に転がっていたのだ。血肉は崩れ、元の形を完全に失っている。それは人間というより、もはや皮のない肉塊だった。血は部屋の床を伝って外へと流れ出し、壁まで赤に染まっていて、三階できれいなところはほとんどない。
 心の準備をしていた林秋石(リンチウシー)も、さすがにこの光景には吐き気を催(もよお)した。口を押さえて背を向けると、小柯(シャオカー)が察して声をかける。
「隣の部屋にトイレがあるわ」
 林秋石(リンチウシー)は急いでトイレに駆け込み、しばらく吐き続けた。
 吐き終わって戻ってくると、小柯(シャオカー)がぽつんと言う。
「あなたは吐かないと思ってたわ」
「え?」
 淡々と続ける小柯(シャオカー)。
「あなたと阮白潔(ルアンバイジエ)は初心者にしてはかなり優秀よ。普通は最初の扉でもうひどくて、生存率は二〇パーセントくらいだもの」
「……」
「さ、朝ご飯を食べに行こう」
「あの二つの死体は放っておくのか?」
 その言葉を聞いた小柯(シャオカー)はとても不思議そうな顔つきをした。
「どうしたいの?」
 返す言葉がなかった林秋石(リンチウシー)は、小柯(シャオカー)と一階(した)に向かおうとしたが、ふと何かを思い出して疑問を口にした。
「待てよ? さっき二階にいた時、三階で女の人が泣いているのが聞こえたんだけど……」
 そう言いながら周りを見回した林秋石(リンチウシー)は、ここに女性は小柯(シャオカー)しかいないと確認するが、彼女の冷静な様子からして、どうしても大声で泣き叫ぶような人には見えない。
「女の人が泣いてた?」
 小柯(シャオカー)が不思議がる。
「私たちは何も聞いてないよ。聞き間違いじゃないの?」
「……かもね」
 林秋石(リンチウシー)はそれ以上言うのをやめた。
 一階では朝食がとっくに出来上がっていて、テーブルの上に湯気の立つ熱々の料理が並んでいた。作ったのは村の人たちだという。彼らの見た目は普通の人と何ら変わりはない。
 朝食を食べ終えた林秋石(リンチウシー)は、村人らに厚手の服を何着か借り、村のことについても聞いてみた。
「うちの村には何(なん)にもねぇだよ」
 村人は有用な情報をほとんどくれない。
「ただ、毎年冬になると観光客が何人か来るくれぇだ」
 林秋石(リンチウシー)が尋ねる。
「へぇ……じゃあ普段の生活用品はどうしてるんですか?」
「山の向こうに買い出しに行くだよ。山道は歩きにくいけども、何とかするしかねぇ。ただ、ちょっと雪が降るともうダメだ。山道がふさがれて、冬の間ずっとここにこもるしかねぇだよ」
 それを聞いてしばし考えると、林秋石(リンチウシー)は、ふと問いかけた。
「この村の井戸は、どれも庭の真ん中に掘られてるんですか?」
 気のせいかもしれないが、「井戸」という言葉を口にした途端、村人たちの表情がひどくこわばったように感じる。けれども村人はそれ以上特に詳しい話をするわけでもなく、ただ頷いて「そうだ」とだけ答え、そのまま背を向けて立ち去った。
 林秋石(リンチウシー)は再び考えてみたものの、なかなか答えが出ないので、ひとまず借りた服を阮白潔(ルアンバイジエ)に届け、他のことはそれから考えることにした。
 部屋に入ると、阮白潔(ルアンバイジエ)がベッドに寝そべってスマートフォンをいじっている。林秋石(リンチウシー)が入ってくるのを見て、そっとつぶやいた。
「随分遅かったのね」
 林秋石(リンチウシー)は借りてきた服をベッドの上に置いて声をかける。
「起きなよ。一階に朝ご飯がある」
「うーん」
「外で待ってるよ」
「ちょっと待って」
 阮白潔(ルアンバイジエ)が不意に林秋石(リンチウシー)を呼び止める。
「頭の上どうしたの?」
「え?」
 阮白潔(ルアンバイジエ)は訳が分からない林秋石(リンチウシー)に手招きをして、近くに寄ってこさせた。
「赤いわ、全部……」
 手を伸ばして林秋石(リンチウシー)の頭をひとなですると、手のひらを見せる。
「何これ?」
 林秋石(リンチウシー)は、その手の中にあるものを見た途端、険しい表情になった。阮白潔(ルアンバイジエ)が手にしているものが、凍った血のように見えたからだ。
「ちょっと見てくる」
 急いでトイレに駆け込んで確認すると、彼女の言うとおり、髪全体に暗赤色の小さな氷の破片がついている姿が鏡に映っていた。髪に紛れ、一見しただけでは全く分からず、一体いつこんなものが頭についたのかも、皆目見当がつかない。
「くそっ」
 林秋石(リンチウシー)は低い声で毒づき、タオルで髪を拭き始めた。ところがこれは拭かないほうがよかったとすぐに気づく。拭けば拭くほど惨事と化し、お湯で濡らした熱いタオルはほとんど真っ赤に染まったのに、髪はなかなかきれいにならないのだ。
 厚手の服に着替えた阮白潔(ルアンバイジエ)がやって来て、無遠慮に言う。
「〔1〕緑色じゃなくてよかったわね」
〔1〕「緑帽子」を匂わす。妻が寝取られる意味も持つ
「……緑色の血なんて見たことあるのか?」
「これ、血なの?」
 林秋石(リンチウシー)はため息をつき、三階での出来事を簡単に説明した。死人が出たと話すと、阮白潔(ルアンバイジエ)はまたもやしくしくと泣き出してしまった。
「林(リン)兄さん、私すごく怖いわ。次に死ぬのはもしかして私たちなんじゃないの?」
 さすがは美女だ。これほど悲しそうに泣かれると、誰でも心が痛む。
 林秋石(リンチウシー)が慰めるつもりで近寄ると、その肩に頭を預けようとしながら阮白潔(ルアンバイジエ)がふと尋ねる。
「林(リン)兄さん、身長どれくらい?」
「……一八〇センチだ」
「あら、私より低いのね」
「……」
 悪かったな。
 林秋石(リンチウシー)は体の向きを変えて、髪を整えながら、これらの血がどこから来たのか思いを巡らせた。そして最後にぞっとする考えに至る……もしかして、三階の天井から……滴(したた)り落ちてきた?
「三階を見に行ってみる」
 そう言うと、林秋石(リンチウシー)は阮白潔(ルアンバイジエ)に声をかけた。
「君は先に一階でご飯を食べてて」
「一人で行くの? 付き合うわよ」
 阮白潔(ルアンバイジエ)にそう言われると、林秋石(リンチウシー)は訝しげに聞く。
「怖くないのか?」
 つい今しがたまで涙で顔を濡らしていたんじゃないのか、君は。
「だって、あなたがいるじゃない」
 阮白潔(ルアンバイジエ)は耳元の黒髪をかき上げ、優しく微笑んだ。
「あなたがいれば、何も怖くないわ」
 林秋石(リンチウシー)は心の中でつぶやく。そうだよな、もっとも昨夜のことからすると、僕よりずっと速く逃げるけどな。
 こうして二人は廊下を進み、三階へと向かうことにした。
 まだ床一面血だらけで、死体もそのままだったが、今度は、林秋石(リンチウシー)は注意を天井に向けている。顔を上げると、案の定、そこにも血痕がある。ただ、その血痕は何かが天井にへばりついて、ゆっくりと這いずったかのような、気味の悪いものだった。時が経ったためか、それも凍っているが、床に滴り落ちた血の跡がぼんやりと見える。
 頭皮がぞわぞわするのを感じた林秋石(リンチウシー)は、正直なところ、最初に三階に来た時に天井からぶら下がっていた“あれ”が一体何だったのか、考えたくはなかった……ましてや、それはまだ見つかっていないのだ。
 一方の阮白潔(ルアンバイジエ)は天井をじっと見上げている。
 林秋石(リンチウシー)は何が見えたのか尋ねた。
「天井よ。じゃなきゃ他に何が見える? 星空に夢とでも?」
「……」
 彼女(こいつ)の度胸は本当にすごい。天井のあと、血まみれの死体まで見に行くなんて。しかもその間、全く気持ち悪がるような様子がなく、むしろ少し興奮しているようにさえ見える。
「怖くないんだ?」
 林秋石(リンチウシー)に怪訝そうな顔を向けられると、阮白潔(ルアンバイジエ)はふと何かを思い出したかのように、その言葉に合わせて、しくしくと泣き始めた。
「……泣くなよ。朝ご飯は食べるかい?」
「食べる、食べる。私もお腹空いた」
 二人がようやく一階(した)へ行くと、朝食をすませた他の者たちがいた。どうやら二人を待っていたようだ。
 熊漆(ションチー)が口を開く。
「どこに行ってたんだ、ずっと待ってたんだぞ」
 阮白潔(ルアンバイジエ)は周囲の視線を全く気にすることなく、さっさとテーブルにつき、茶碗を手に取って朝食を食べようとする。
 林秋石(リンチウシー)は阮白潔(ルアンバイジエ)ほど図々しくはなく、髪に血がついた話と、三階の天井にもいくつか奇妙な痕跡を見た話をした。
 それを聞いた皆の顔は曇り、思わず天井を見上げる者もいた。
 そうやって昨夜亡くなった人や奇妙な痕跡について話をしていると、入り口に四十代くらいの中年男性が見える。ミリタリーグリーンの厚手の綿入れを着たその男性は、灯油ランプを手にして、ゆっくりとした足取りで皆が集まるリビングに入ってきた。
「やあどうも」
 男性が口を開く。
「私はこの村の村長だ。君たちが私の頼んだ助っ人だね?」
 村長が話し始めた途端、部屋の中が静かになった。
「寒くなってきたから、そろそろ来年のために棺(ひつぎ)を作ろうと思っておるのだが」
 しゃがれた声で続ける。
「それで、大工仕事を手伝ってもらいたいというわけだ」
 誰も返事をしなかったが、村長も特に答えを求めている様子ではない。
 話を終えた村長は数回咳払いし、揺れ動く灯油ランプを再び手に取り、外へ向かって歩き出した。雪はやんだが、風はまだ吹き続けている。ヒューヒューという風の音が戸板や梢にぶつかり、まるで人間の慟哭(どうこく)のように響く。
「始まったか」
 熊漆(ションチー)が低い声で言うや、外で突風が吹き荒れ、半開きだった扉が激しく壁に叩きつけられた。バキッという音とともに、そこそこ頑丈そうに見えた木製の扉がものの見事に割れて何枚もの木のかけらになってしまった。
 屋敷の中にいた人たちは黙り込んでいたが、ついに熊漆(ションチー)が口を開く。
「棺を作れってことだな」
「どうしてこんなことになるんだ、どうしてなんだ!!」
 部屋の中に泣き叫ぶ声が響き渡った。林秋石(リンチウシー)が振り向くと、男性一人がメンタルを崩壊させている。
「こんな難しい世界だったなんて! どう生き延びろというんだ。棺なんか誰が作れる? 俺たちは死ぬ、全員ここで死んでしまうんだ」
 熊漆(ションチー)はこのような光景を見慣れているのか、表情が微動だにしない。
 心を壊した男は、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして大声で叫びながら、テーブルの上の物を全て床に叩きつけた。
「入った時は十三人いたのに、初日でもう二人も死んだ……こんな難しい扉、今まで一度も経験したことがない!!」
「もういい!」
 熊漆(ションチー)が苛立(いらだ)たしげに声を上げる。
「泣いたら死なないってか? 何を感情的になってるんだ。初心者のつもりか? 本物の初心者のほうがよっぽど冷静じゃないか!」
 この言葉のせいで、巻き添えを食らってその男にギロリと睨まれた林秋石(リンチウシー)は、内心こう思った──精神的に強すぎるのも悪だというのか。
 とはいっても、その男がメンタルを壊すのも無理はない。現実世界とは異なる異次元空間や数々の恐ろしい前兆を目の当たりにすれば、平静を保つのは難しいはずだ。
「とりあえず、どうすべきか話し合おう。村長は棺を作れと言ったんだ。だったら鍵はきっとそれだろう」
 そう言う熊漆(ションチー)に、林秋石(リンチウシー)が尋ねた。
「すみません、鍵って何ですか?」
 熊漆(ションチー)は林秋石(リンチウシー)を一瞥すると、こう答えた。
「扉を開けるためのものだ。俺たちはここに入り込んだからには、この世界の人たちから与えられる手がかりをもとに、脱出の鍵を探し出さなきゃならない。そうやって鉄の扉を見つけたら、めでたく出られるってわけだ」
「時間制限はあるんですか?」
 林秋石(リンチウシー)の質問に、熊漆(ションチー)は呆れたような笑みを浮かべながら答える。
「もちろん、全員が死に絶えるまでだ」
 なるほど、そういうことか。林秋石(リンチウシー)は少しだけほっとした。少なくとも脱出方法はあるということだ。彼が一番恐れていたのは、解決策がなく、逃げ出すことも振り払うこともできず、どんな行動も無駄になるような状況だった。
「手がかりは棺だ」
 熊漆(ションチー)が外の天気をちらりと見ながら声をかける。
「まずは村で木工を生業(なりわい)にしている人を探して、状況を聞いてみよう」
「了解。私も一緒に行くわ」
 小柯(シャオカー)がそう言うと、林秋石(リンチウシー)が手を挙げた。
「僕も行きたいです」
 熊漆(ションチー)は気に留めることなく頷いた。
「構わん」
 いつの間にかリーダーとなった熊漆(ションチー)が他の人に指示を出す。
「お前たちは建物の中を調べて、何か役に立つ手がかりがないか確認してくれ」
 すると、阮白潔(ルアンバイジエ)が歩み寄り、林秋石(リンチウシー)の袖をそっと引っ張りながらささやいた。
「怖いの。あなたと一緒にいたい」
 この女性は確かに背が高く、小鳥のような華奢(きゃしゃ)な印象はみじんもないが、どうしようもなく美しい顔立ちのせいか、どこかしら同情を誘うところがある。
 林秋石(リンチウシー)は首を縦に振りながら答えた。
「いいけど、君の安全を守れるとは保証できないぞ」
 阮白潔(ルアンバイジエ) は笑いながら耳元の髪をかき上げて言う。
「大丈夫。一緒にいるだけで安心できるから」
 その言葉に、林秋石(リンチウシー)はこう思った。こいつ、なかなかうまいなと。
 こうして四人はまだ日の高いうちに急いで出かけた。
 道すがら、林秋石(リンチウシー)は熊漆(ションチー)にこの世界の細かいことをいくつか尋ね、ここにいる幽霊や怪物(モンスター)は基本的には無闇に人を殺さないことを知る。とはいえ例外もあるらしい。高難度の世界に遭遇すると、幽霊や怪物(モンスター)は一切の掟(おきて)を無視し、いつでも好きな時に襲いかかってくるという。そんな状況に出くわすと、まさに九死に一生も得ることができないのだ。
「この世界の存在意義は一体何なんだ」
 林秋石(リンチウシー)は最も気になっていた疑問を口にした。
 熊漆(ションチー)はそれを聞くと、じっと彼を見つめて答える。
「生きて帰れたら、その時に分かるさ」
「……そっか」
 村人から村の木工職人の住所を聞いてはいたものの、雪の日で道が大変悪く、そこまで辿りつくのに一時間ほどかかった。
 その間、林秋石(リンチウシー)は村の様子を観察していた。
 この村は大きくはなく、鬱蒼(うっそう)とした森に囲まれている。普段はまだしも、一度雪が降ると外へ通じる道はほとんど断たれてしまう。村にはあまり人がおらず、時折、道端を歩く人を二、三人見かけるくらいだ。このような場所でよそ者に出会うのは珍しいことだが、村人たちの表情を見る限り、林秋石(リンチウシー)たちがやって来たことに全く関心を抱いていないようだった。
 木工職人の家は村の東のはずれにあった。近くまで行くと、中から灯油ランプの弱々しい光がかすかに漏れているのが見える。
 熊漆(ションチー)が近寄ってドアをノックすると、しばらくしてドアの向こうから小柄な老人が現れた。六十から七十歳くらいで、まばらな髪にぼろぼろの灰色の綿入れを着ている。顔にはしわが幾重にも刻まれ、目がひどく濁っている。
「何か用かね?」
 老人が尋ねると、熊漆(ションチー)が口を開く。
「外はとても寒いので、中で話をさせてもらえませんか?」
 老人は無言のまま体の向きを変え、玄関を通れるようにした。
 外にいた四人がぞろぞろと中に入る。
 家はさほど広くなく、どこもかしこも雑然としていた。辺りを観察した林秋石(リンチウシー)は、窓には穴があり、窓枠に木の板を粗雑に釘付けして、簡易的に風よけをしていることに気づいた。
「俺たちは村長に頼まれて棺を作りに来たんですが、こういったことには不慣れで。こちらに村で名高い木工職人がいると聞いて、何かしら助言をもらえないかと」
 熊漆(ションチー)の話を聞いた老人は彼を見やると、そっけなく答える。
「棺を作りたいなら、まず木を伐(き)るんじゃな。木を伐ったら、その材木をわしのところに運ぶ。それから祠(ほこら)に行ってお参りじゃ。そうすりゃ作り始められる」
 熊漆(ションチー)はキーワードを捉えた。
「祠にお参り、ですか?」
 頷く老人。
「村はずれに古い祠がある。この辺りじゃ棺を作るのは陰徳(いんとく)を損なうことじゃから、まずお参りせにゃならん。お参りをな」
「お参り」という言葉を何度も繰り返すので、聞いているだけで何だか気味が悪くなる。
「お参りが終わったら?」
 熊漆(ションチー)の問いかけに老人は答えず、黙り込んだ。
「もしもし?」
 また声をかけるが、口を結んだままだ。
 それでも熊漆(ションチー)がしつこく問いかけると、老人は笑みを浮かベた。炎に照らされ、ひどく凶悪な笑顔だ。そして重々しい声で口を開く。
「お前たちが生きていたら、その時にまた聞きに来るんだな」
 瞬く間に熊漆(ションチー)の顔が青ざめた。
 そこで阮白潔(ルアンバイジエ)が不躾(ぶしつけ)に言う。
「そんなこと言わないでよ、おじいちゃん。この寒さだし、もし私たちが棺を作り終える前におじいちゃんが先に死んじゃったらどうするの?」
 老人はニヤリと笑う。
「この年寄りは運が強くてな」
 阮白潔(ルアンバイジエ)がすかさず言い放つ。
「あっちのほうは強くないみたいですけどね」
 老人も他の者も押し黙ってしまった。
 林秋石(リンチウシー)は心の中でつぶやく。何でそんなに手馴れてるんだよ。〔1〕NPCに嚙みつくなんて正気か。普通、こんな恐ろしい雰囲気の人に会ったら少しは怖がるだろうに、阮白潔(ルアンバイジエ)の切り返しときたら、まるっきりそんな気配がない。
〔1〕ノンプレイヤーキャラクター
「いいよ、いいよ」
 林秋石(リンチウシー)が口を開く。
「おじいさんが話したくないなら、無理に聞くことはないさ……」
「聞かなくていいの? 私たちが先にやられたら仕方ないけど、じいさんが先にくたばったらどうするの?」
 阮白潔(ルアンバイジエ)はそう言いながら袖をまくり上げると、視線を部屋中に巡らせ、最後に腕ほどの太さのある木の棒に目を止めた。
 林秋石(リンチウシー)は心の中で悪態をつく。マジかよ、ホントに手を出すつもりか? こんなどうしようもないホラーの世界だぞ。NPCに手を出すなんて、まったくどうかしてるんじゃないのか?
 ところが阮白潔(ルアンバイジエ)が棒に手を伸ばすより早く老人が怖気づき、忌々(いまいま)しそうに言った。
「お参りをすませたら、次は井戸を一つ埋めろ。それで棺は完成だ」
「あ~ん、秋石(チウシー)、おじいさんが私のこと睨んでる~」
 阮白潔(ルアンバイジエ)の言葉に林秋石(リンチウシー)は閉口した。いやいや、さっきの君の目つきのほうがよっぽど怖かったよ。
 熊漆(ションチー)もまさかこんなやり方が通用するとは思っていなかったようで、小柯(シャオカー)とともに呆然としている。彼らはこの世界に来てから、誰に対しても礼儀正しく接して、相手を怒らせないように慎重にしていた。しかし、阮白潔(ルアンバイジエ)は全く予想外の行動を取り、しかもあっさりと最後の答えを引き出してしまったのだ──もっとも、その答えが正しいかどうかは別問題だが。
 一行が木工職人の家を出る時、熊漆(ションチー)は複雑な気持ちで阮白潔(ルアンバイジエ)の名前を尋ねた。
 阮白潔(ルアンバイジエ)が可憐な面持ちで答える。
「阮(ルアン)といいます。阮白潔(ルアンバイジエ)です。〔1〕潔潔(ジエジエ)と呼んでください」
〔1〕「姐姐(ジエジエ)[姉の意]」とイントネーション違いの同音
 熊漆(ションチー)は「潔潔(ジエジエ)」と呼んでみたが、何となくしっくりこないので、最終的に林秋石(リンチウシー)と同じく「白潔(バイジエ)」と呼ぶことにした。
 ここに来てほぼ一日が経って、熊漆(ションチー)はようやく彼女の名前を知ったわけだ。昨日の阮白潔(ルアンバイジエ)の涙に濡れた姿を見て、彼女がこの世界で長く生き延びられないだろうと感じたのか、名前すら尋ねていなかった。
 しかし、先ほどの見事な立ち回りを目にして、阮白潔(ルアンバイジエ)が見た目ほどか弱くはないことを悟ったのだ。
 熊漆(ションチー)が尋ねる。
「さっきは怖くなかったのかい?」
 阮白潔(ルアンバイジエ)の答えは説得力があった。
「怖い? 何で怖がらなきゃいけないの? 幽霊を怖がるのは仕方ないとしても、人間まで怖がってたら、それこそ情けないでしょ。それに、ああいう人は一目で重要なNPCだって分かるじゃない。本当に死んじゃったら、私たちに必要な情報が途切れてしまう。それじゃ最後まで生き残れないわ」
 無言のままだったが、三人とも彼女の言うことには一理あると思っていた。
 何とか木工職人から重要な情報を得て、一行の気持ちもだいぶ落ち着いたので、屋敷にいる皆にこのことを伝えるために帰路についた。
 昼間だというのに空は厚い黒雲に覆われて、雪こそ降っていないものの、冷たい風がひゅうひゅうと吹き荒れている。阮白潔(ルアンバイジエ)はロングスカートを穿き、厚手の綿入れを重ね着して林秋石(リンチウシー)の後ろについていた。その姿は風に吹き飛ばされそうなほどか弱く儚(はかな)げだ。
 林秋石(リンチウシー) は、その姿にあまりにも忍びない思いがしたので、手を伸ばして彼女を引き寄せ、前を歩かせて自分が後ろから風を遮るようにした。
 阮白潔(ルアンバイジエ)は感激し、その美しい瞳を瞬かせながら話しかける。
「あなたって本当にいい人ね」
「どういたしまして」
「あなたは誰に対してもこんなに優しいの?」
 阮白潔(ルアンバイジエ)のこの問いに、林秋石(リンチウシー)が冗談めかして答えた。
「……僕が熊漆(ションチー)に優しくしたのを見たかい? やっぱり君が美人だからじゃないか」
 前を歩いていた熊漆(ションチー)が口を挟む。
「聞こえたぞ」
 林秋石(リンチウシー)の言葉に阮白潔(ルアンバイジエ)は考え込むような表情を浮かべた。
「見た目がよければいいの?」
 阮白潔(ルアンバイジエ)が軽口を叩いていると思った林秋石(リンチウシー)は、適当に返す。
「もちろん、背が高いことも条件かな」
「そう……」
 阮白潔(ルアンバイジエ)がつぶやいた。

第三章 苦しみの夜
 四人は風雪の中、長い道のりを歩きながらも途中で奇妙な出来事に遭遇することもなく、無事に屋敷へと戻った。
 ところが屋敷に着いてみると、中の様子がどこか異様な感じがする。数人が青ざめた顔で座って動かず、そこに漂う恐ろしく静かな雰囲気は、彼らが初めてここに来た時よりも更に悪くなっているように見えた。
 林秋石(リンチウシー)が素早く人数を目で追う。誰も欠けていないことを確認すると、かすかに息をついた。
「何があったんだ?」
 そう尋ねる熊漆(ションチー)に、中に座っていた男がぶるぶる震えながら答える。
「う、上、上の階にあった死体が消えた」
「死体がなくなっただけだろ?」
 熊漆(ションチー)がたたみかけた。
「初心者じゃあるまいし、死体がなくなったぐらいで怖がってどうする」
「食べられたのよ。そこら中、血、だらけに……」
 隣にいた女性がむせび泣きながら言い、涙は止まらない。
 熊漆(ションチー)と小柯(シャオカー) は、この人たちからは有益な情報が聞き出せないと言わんばかりに顔を見合わせる。そこで、四人は状況確認のため三階に行くことにした。
 三階へは階段を上っていく。二階に差しかかった時、林秋石(リンチウシー)が異変に気づいた。二階の壁にも血痕が付いているのだ。
 木造の建物なので壁も木の茶褐色だが、林秋石(リンチウシー)はその壁に黒い斑点が付着しているのを見つけた。何かが飛び散った跡のようだ。
 先頭を歩く熊漆(ションチー)が声をかける。
「気をつけろ。上に何かいるかもしれないから」
 三階に辿りつくと、林秋石(リンチウシー)はようやく彼らの言っていた「食べられた」の意味を理解した。
 そこに置かれていた死体がなくなっている。それだけならまだしも、代わりに別のものがある。床一面に肉や骨の破片が散らばり、まるで何かに無惨に引き裂かれ、ぐちゃぐちゃに食い荒らされたかのようだ。
 その光景を目の当たりにした林秋石(リンチウシー)は思わず顔面蒼白となり、吐き気を覚えた。
「随分きれいに食べたわね」
 小柯(シャオカー)は慣れた様子だ。
「一体何なのかしら」
 熊漆(ションチー)はため息をつくと、こう伝えた。
「戻ろう。三階は鍵を閉めて、今日は全員二階で寝るぞ」
「うん」
 小柯(シャオカー)が応じる。
「あの人たちからもう少し詳しく事情を聞いてみる」
 四人は一階に戻ると、一体何が起こったのかを再び尋ねた。
 下にいた者たちも、やっと屋敷内で起きたことを口にし始める。
 彼らの話によると、熊漆(ションチー)たちが出かけたあと、何人かで屋敷の中を調べることになったが、二階に差しかかった時に、三階から奇妙な音が聞こえてきたそうだ。まるで誰かが何かを咀嚼するような、ガツガツと貪り食う音まで混じっていたらしい。
 そこで頭数を数え、三階に仲間はいないことを確かめると、冷や汗が吹き出てきたという。
 誰も三階に上がる勇気はなく、二階で身動きできずに様子を窺(うかが)った。咀嚼音がやむまで待って、ようやく皆で恐る恐る三階に向かったところ、肉片と骨の破片が散乱しているのを目にしたというわけだ。
「怖すぎるわ」
 もう一人の年長女性が、少しぼんやりとした表情でつぶやく。
「扉の中に入ったのは三回目なのに、こんな世界に出くわすなんて。私たち、生きて帰れるのかな。あれは一体何だったのかしら……」
 その問いに答えられる者は誰もおらず、屋敷の中は静寂に包まれた。
 熊漆(ションチー)は小さくため息をついてから尋ねた。
「腹減ったな。何か食べ物を探しに行こうと思うが、誰か一緒に台所に行かないか?」
「僕が行く」
 林秋石(リンチウシー)だ。
 その隣に座っている阮白潔(ルアンバイジエ)は、か細い声でささやいた。
「秋石(チウシー)、私もお腹が空いたわ。麺が食べたいの」
「見てくるよ。あったら作ってあげる」
「うん」
 阮白潔(ルアンバイジエ)は目を細めて微笑みながら、優しく林秋石(リンチウシー)を見つめる。
「気をつけてね」
 林秋石(リンチウシー)が頷いた。
 こうして、熊漆(ションチー)と林秋石(リンチウシー)は二人で台所へ向かうことに。リビングの左側にあるこの台所はガスがなく、最も原始的な薪しか置かれていなかった。ほとんど会話を交わさずに台所に着くと、熊漆(ションチー)がかがんで火を起こし、ようやく口を開く。
「俺は奴らに全てを話すつもりはない」
 林秋石(リンチウシー)は一瞬面食らった。
「どういう意味ですか?」
 熊漆(ションチー)は、何も言わずに入り口のほうを見やり、外に誰もいないことを確認してから、低い声で言う。
「俺たち全員が人間だという保証はどこにもないんだ」
 その言葉に、林秋石(リンチウシー)は背中がぞくっとした。
「こんなことは前にもあった。仲間だと思っていたのが実は仲間じゃなくて、アレだったんだ」
 そう続けた熊漆(ションチー)に、林秋石(リンチウシー)は問いかける。
「それなら、どうして僕のことを信じるんです? 僕だって、アレかもしれないでしょ」
 熊漆(ションチー)は林秋石(リンチウシー)を一瞥した。
「お前さんは違う」
「……」
 熊漆(ションチー)が言葉を継ぐ。
「それに、あいつらはこういうことを何度か経験したようには全く見えん。慌てすぎなんだ。お前さんのほうがよっぽど落ち着いている」
 そう褒められると、林秋石(リンチウシー)は少し気恥ずかしい。
「実は、僕だって結構怖いんですけど」
 その言葉には熊漆(ションチー)も苦笑した。
「これで怖がってるってか? 俺なんて初めて扉に入った夜、三回も漏らしたぞ」
 すると、昨夜の恐ろしい女のことを思い出した林秋石(リンチウシー)は、黙って自分の股間をちら見する。心の中で思った──何とか持ちこたえてよかったな……。
「言っておくが、お前さんも手がかりは全部話さないほうがいい。いくつかは自分の胸にしまっておくんだ」
 熊漆(ションチー)の言葉に林秋石(リンチウシー)は頷く。
「分かりました。忠告ありがとうございます。ところで熊漆(ションチー)さんはこれで扉何回目ですか?」
「六回目だ」
「ああ……」
 林秋石(リンチウシー)は、熊漆(ションチー)からの情報を懸命に消化しようとした。扉やアレ、そして隠すべき手がかり。
「そんなに考えても仕方ないさ。とにかく何とかして生きてここから出るんだ」
 熊漆(ションチー)は苦渋の笑みを浮かべる。
「この世界は厳しいとは思うが」
 かまどに火が入り、鉄鍋の湯が沸く。
 林秋石(リンチウシー)は近くで食材の入ったかごを見つけた。中には麺や卵、緑の野菜まである。麺を鍋に入れ、卵を焼くと、食べ物の香りが台所に広がって、陰鬱な恐怖感も和らいだ。
「いい腕してるな」
 様子を見ていた熊漆(ションチー)が褒める。
「まあまあですかね」
 林秋石(リンチウシー)もまんざらでもなさそうだ。
 麺は四人前作った。熊漆(ションチー)、小柯(シャオカー)、林秋石(リンチウシー)、そして阮白潔(ルアンバイジエ)の分だ。それ以外の人たちのことは、林秋石(リンチウシー)には面倒見きれなかった。
 お腹を空かせていた阮白潔(ルアンバイジエ)は、碗を抱えるように持って麺を食べ始めた。普通の人なら麺をすする音が少しはするものだが、彼女は全く音を立てない。しかもスープまで飲み干していた。そして食べ終えると、無言でじっと林秋石(リンチウシー)を見つめるのだった。
 その熱い眼差しに林秋石(リンチウシー)はドキッとしつつ、何とか話しかける。
「足りないの?」
「ううん、お腹いっぱい」
 答えた途端、阮白潔(ルアンバイジエ)のお腹がタイミングよく鳴った。
「……食べていいよ、僕は他のものを用意してくるから」
「大丈夫、もういらない」
「本当にいらないの?」
 林秋石(リンチウシー)が食べ続ける素振りを見せると、阮白潔(ルアンバイジエ)は目を大きく見開いた。その表情があまりに可愛くて、林秋石(リンチウシー)は思わず笑ってしまった。
「いいから、食べなよ。僕はもうお腹いっぱいになったから」
「はいはい」
 今度は阮白潔(ルアンバイジエ)も遠慮しない。
 二杯の麺を平らげると、出かけていた時の寒けがようやく収まった。
 熊漆(ションチー)は食べながら、木工職人の老人から得た情報をみんなに伝えた。もちろん全部ではなく、最後の井戸を埋める手がかりについては黙っている。
「もしかして、鍵は棺の中にあるんじゃないか?」
 彼らの中には冷静な者もいた。そのうちの一人、張子双(チャンズーシュアン)という男が言う。
「重要な手がかりが棺なら、そういう可能性が高いと思う……」
「まあ、そうだといいけどな」
 熊漆(ションチー)が言葉を引き取る。
「明日の朝、みんなで山に木を伐りに行こうと思う。男は全員だ。女も近くまで付いてきてくれるといいが、どうしても寒さが苦手と言うなら家にこもってろ。ただ、もし家の中で何かあっても、俺たちは助けてやれない」
 みんなで話し合った結果、全員熊漆(ションチー)の提案に同意した。こんな風雪の中で山に登るのは危険すぎると思う者もいたが、この世界で最も危険なのは天候ではなく、神出鬼没の化け物たちだ。早く棺を作り、ここから出ることこそが最善の策だろう。
 そうこうしているうちに、また日暮れが訪れた。
 夜の帳(とばり)が下りると、皆は簡単に体を洗い、他に何かをする気もなく早々に自分の部屋へ戻る。林秋石(リンチウシー)がなぜみんなで集まって過ごさないのかと質問すると、熊漆(ションチー)はこう答えた。
「一緒にいると、決まった時間に全員が眠ってしまうからだ」
「どういう意味です?」
 林秋石(リンチウシー)は少し不思議がる。
「つまり、ある時間になると全員が寝てしまうってことですか?」
「そうだ」
 熊漆(ションチー)が頷くと言葉を続けた。
「たぶん、この世界の仕組みだろう。同じ部屋にいる人数が一定数を超えると、決まった時間に全員が眠ってしまうんだ。そうなると、何が起きてもどうしようもない」
「それじゃ、僕たちは手も足も出ないと?」
 顔をしかめる林秋石(リンチウシー)に熊漆(ションチー)が説明する。
「あいつらも簡単には人を殺せない。奴らが人を殺すには、タブーとなる条件が必要で、扉の世界が難しいほど、その条件は広がる。しかも、中にはとても……理解し難いものも」
「例えば?」
「例えば、靴を履いている人なら殺してもいいとか、な」
「……」
 林秋石(リンチウシー)は黙って自分の足元の靴を見つめる。
 その様子を見て笑い出す熊漆(ションチー)。
「ただの例え話だ。万一、この世界のタブーが『靴を履いていない人なら殺してもいい』だったら、靴を脱いだら死んでしまうだろう。それに、タブーは一つだけじゃなく、複数が重なることもある。それで、法則的なものをまとめた結果、夜はぐっすり眠って朝を迎えるのがむしろ一番安全だということに行き着いたんだ」
 そこまで言ったところで少し間を置く。
「もちろん、眠れればの話だがな」
 すると、昨夜の出来事を思い出した林秋石(リンチウシー)は、横で手に〔1〕瓜子(グワズ)を握り、無心でかじっている阮白潔(ルアンバイジエ)に目を向けた。昨夜自分が死神とすれ違ったという感覚が拭えない。
〔1〕スイカ、カボチャなどの種
 少しでも油断していたら、自分も三階のあの冷たい死体の一つになっていただろう。
「もう寝な。おやすみ」
「おやすみなさい」
 熊漆(ションチー)の言葉に軽く頭を下げ、林秋石(リンチウシー)は阮白潔(ルアンバイジエ)にも寝るよと声をかけた。
 阮白潔(ルアンバイジエ)はあくびをして、残った瓜子を無造作にテーブルに置くと、目をこすりながらつぶやく。
「もう眠くてたまらないわ、今日は早く寝よう」
「うん、早く寝よう」
 昨夜の出来事のせいで、三階が完全に使えなくなったため、全員が二階に移ることになった。
 林秋石(リンチウシー)は相変わらず阮白潔(ルアンバイジエ)と同じベッドだが、今度は万全の準備をしようと、まずは窓をしっかりとロックした。そして、カーテンも閉めようとしたが、このカーテンは長い間使われていなかったようで、どうしても動かない。
「秋石(チウシー)、寒いよぅ」
 阮白潔(ルアンバイジエ)はパジャマ姿で布団にくるまりながら、甘えたような声を出す。
 まだカーテンと格闘している林秋石(リンチウシー)は、振り返らずに答えた。
「寒いならもっと着込めばいい」
「……あなた、彼女いないでしょ?」
「彼女? 何で彼女が要るんだ?」
 戸惑いながら聞き返した。
 阮白潔(ルアンバイジエ)は黙りこくる。林秋石(リンチウシー)がカーテンを引いて後ろを振り返った時には、まるで死んだ魚のように硬くベッドに横たわっていた。
 林秋石(リンチウシー)はまだ状況が摑めない。
「どうしたんだ?」
 阮白潔(ルアンバイジエ)が小さな声で話しかける。
「ねえ……私に言いたいこととかないの?」
 林秋石(リンチウシー)はあれこれ考えた。そして阮白潔(ルアンバイジエ)の美しい顔をじっと見つめると、ようやく思い当たったように口を開く。
「ある」
 それを聞いて、阮白潔(ルアンバイジエ)が満足げに笑みを浮かべる。
「何を言いたいの?」
「その……今日、もし幽霊に遭ったら、君、ちょっとゆっくり走ってくれない?」
 阮白潔(ルアンバイジエ)は冷たい顔で突き放す。
「無理」
「じゃあ何で僕に何を言いたいかなんてクソみたいなこと聞くんだよ。寝るぞ!」
 林秋石(リンチウシー)が怒って言うと、二人は背を向け合い、それぞれが自分の布団にくるまって寝ることにした。
 熊漆(ションチー)の言うとおり、静かに眠れることが夜を乗り切る最高の状況なのだろうが、林秋石(リンチウシー)の頭の中にはさまざまな考えが渦巻(うずま)き、しばらくの間、全く眠れなかった。一方、背後の阮白潔(ルアンバイジエ)ときたら、まるで動物か何かのように、目を閉じた瞬間に眠りに落ちた。その姿に林秋石(リンチウシー)は腹が立って仕方がない。
 夜が更けるにつれ、気温も低くなる。幸い布団が厚く、近くには温かい人間が寝ているので、それほど苦にはならなかった。
 林秋石(リンチウシー)は目を閉じ、昼間の手がかりを整理していたが、そのうち意識がだんだんとぼやけていく。もう少しで深い眠りに落ちるところだったが、眠りにつこうとしていたその瞬間、何か奇妙な音がかすかに聞こえてきた。昨日の何かがぶつかるような鈍い音とは違い、頭上の天井から響いてくるのは何かぬめり気のある重いものが、ゆっくりと三階や天井の上を引きずられているような音だ。林秋石(リンチウシー)の聴覚は鋭く、眠気が一気に吹き飛んだ。呼吸が一瞬止まると、恐る恐る目を開けて天井をじっと見つめた。
 そこには古びた天井板以外、何もない。
 ところが、林秋石(リンチウシー)の体を寒気が襲い始めた。その音が自分の頭上に来た時にぴたりと止まったのをはっきりと聞き取ったからだ。
 バタ、バタ。
 何かを叩くようなねっとりとした音が鼓膜を刺激しながら、次第に大きくなっていく。林秋石(リンチウシー)は全身に鳥肌が立った。歯を食いしばりながら、ベッドから起き上がろうとしたその時、横から手が伸びてきて腰に巻きついた。
「何してるの?」
 阮白潔(ルアンバイジエ)の寝ぼけたような声だ。
「何か変な音、聞こえなかった? 天井の上から」
 林秋石(リンチウシー)が声を低く抑えて言った。
「音? どんな音? 何も聞こえなかったけど。動かないでよ、寒いから」
 吐息が林秋石(リンチウシー)の耳元にかかる。氷雪のような香りを帯びた吐息だ。
「君……」
 林秋石(リンチウシー)は何か言おうとしたが、纏わりついている阮白潔(ルアンバイジエ)の腕に少し締めつけられるように感じた。
「寝ようよ」 
 阮白潔(ルアンバイジエ)にそう言われて、林秋石(リンチウシー)は仕方なく目を閉じる。
 阮白潔(ルアンバイジエ)の指が林秋石(リンチウシー)の腰をゆっくりとなでる。本来なら少し艶めいたこの動作が、今は癒しに満ちている。
 天井上の打音はまだ続いていたが、林秋石(リンチウシー)はさっきほど恐怖を感じなくなり、眠気に再び包まれていく。そしてついに、深い眠りに落ちた。
 翌朝──。
 林秋石(リンチウシー)は阮白潔(ルアンバイジエ)の腕の中で目を覚ました。
 阮白潔(ルアンバイジエ)は腕を伸ばして林秋石(リンチウシー)をすっぽりと包み込み、頭の上に自分のあごを乗せている。林秋石(リンチウシー)に起こされても、夢うつつ状態でゴロゴロと体を擦り寄せてくる。
「もう! もう少し寝かせて」
「……」
 おいおい。
 しばらく横になっていたが、阮白潔(ルアンバイジエ)が起きる気がなさそうなので、仕方なく声をかける。
「僕、起きるよ」
「ん……」
「阮白潔(ルアンバイジエ)?」
「昨夜(ゆうべ)は『ハニー』って呼んだくせに、今朝は『阮白潔(ルアンバイジエ)』なの?」
「……」
 ただ、そう言いながらも絡めていた腕をほどいた。そして、ヘッドボードに寄りかかりながら、林秋石(リンチウシー)が服を着替えるのを見つめる。何だか雰囲気が少し変だと感じた林秋石(リンチウシー)は、しばらく考えると阮白潔(ルアンバイジエ)のほうを振り返った。
「そんな目で見るの、やめてくれないかな?」
「どんな目? お金ならテーブルの上に置いてあるから、自分で持っていってね。あと煙草くれる? 一本欲しいの」
「……」
 これが事後煙草とか何とかってやつか?
 阮白潔(ルアンバイジエ)が続ける。
「どうしたの? 言うとおりにしないのね。五百は昨日約束したんだから、それ以上は〔1〕一分(フェン)だってあげないわよ」
〔1〕一分は一元の百分の一
 林秋石(リンチウシー)は閉口したまま、服を着るとトントンと階段を下りていった。
 その頃、他の人たちは既にリビングに集まり、村人が持ってきた朝食を食べている。林秋石(リンチウシー)がいつものように人数を確認すると、阮白潔(ルアンバイジエ)以外に三人がいないことに気づいた。
 熊漆(ションチー)は林秋石(リンチウシー)を見るや、そばに座るよう合図する。
「昨日は何もなかったんですよね?」
 林秋石(リンチウシー)が腰を下ろしながら尋ねた。
「ああ、死人は出ていない」
「なら、よかった」
 ほっと息をついた林秋石(リンチウシー)。
 実際、昨夜はとても静かで、誰も余計な音を耳にすることはなかった。林秋石(リンチウシー)は試しに、上の階から何か物音が響いてこなかったかと尋ねてみたが、皆口を揃えてこう答える。とても静かな夜で外の風の音以外は何も聞こえなかったと。
「食べ終わったら、すぐに木を伐りに行って木工職人に届けよう。急いだほうがいい。ますます寒くなるばかりだし、昨夜何も起きなかったのも引っかかる……」
 熊漆(ションチー)はいささか訝しがる様子だ。
「そうですね」
 林秋石(リンチウシー)も適当に相槌(あいづち)を打つ。
 ようやく残りの三人もばらばらと階下に降りてきた。阮白潔(ルアンバイジエ)が最後で、身に纏っているのは相変わらずあの美しいロングスカートだ。上に厚手のジャケットを羽織り、綿入れズボンまで穿いている。スカート丈が長いせいで歩くのがゆっくりになり、姿勢もとても優雅に見えた。
 林秋石(リンチウシー)は、阮白潔(ルアンバイジエ)がやってくるのを見て、少しばつが悪そうに目をそらす。
「秋石(チウシー)」
 名前を呼ぶ阮白潔(ルアンバイジエ)に、仕方なく返事をした。
「おう」
「どうして無視するの?」
 阮白潔(ルアンバイジエ)が甘えたように言う。
「私、あなたの作る麺が食べたいの」
「昼に作ってやるよ。もう遅いから」
「でも、昨日の夜、ベッドの上ではそんなこと言わなかったじゃない」
 その言葉に、ちょうどお粥を食べていた小柯(シャオカー)は、むせて咳が出た。熊漆(ションチー)も何ともいえない表情を浮かべ、いわくありげな視線を林秋石(リンチウシー)と阮白潔(ルアンバイジエ)に交互に投げかける。
 林秋石(リンチウシー)は泣くに泣けず笑うに笑えない。
「分かったから、冗談はよせ。昨夜は本当にありがとう。昼に麺を作って、目玉焼きも多めにあげる」
「しょうがないな」
 阮白潔(ルアンバイジエ)は妥協した。
「薬味ネギもあったらいいのに」
 こんな寒い日に野菜が食べられるだけでも幸運なのだから、薬味ネギなど期待しないでほしい。
 全員が簡単に朝食をすませると、防寒服を着込み、斧を手に出発の準備を整えた。
 木を伐る場所は村はずれにある山林で、そこに続く道は一本だけだ。雪で道は更に狭くなり、一度に人一人しか通れない。
 登る時はまだいいが、下山する時に木材を引いて運ぶのは大変だろうな。林秋石(リンチウシー)は小道を歩きながら、そう考えていた。
 運のいいことに、彼ら十一人の中に木工を仕事にしていた者がいた。三十代の中年男性で、自称木工職人。木の伐採ができ、簡単な家具も作れるが、棺のようなものにはあまり詳しくないという。彼が先頭に立って適切な木を何本か選ぶと、皆に木の伐り方を教え始めた。
 ここにいるほとんどの人は、こういった作業をしたことがなく、いくら教える人がいるとはいえ、初めての経験でなかなか慣れない。
 林秋石(リンチウシー)も斧を握り、見よう見まねで空中で数回振ったあとに、ようやく一回振り下ろしたが、木の幹にかすかな跡しかつかなかった。
「その手つき、まだ違うわよ」
 阮白潔(ルアンバイジエ)はそばに立ち、ポケットに手を突っ込みながら白い息を吐く。
「力を下にかけないと、こんな重い斧なんて持ち上げられないわ」
「君は木を伐ったことがあるのか?」
「人が伐るのを見たことがあるわ」
「そうか」
「気をつけてね、ケガしないように」
 その言葉に頷いて、林秋石(リンチウシー)は斧を振り続けた。これは彼らが想像していた以上に厄介な仕事で、午前中、何人かの男が交代しながら作業にあたったが、伐り倒したのはかろうじて一本だった。
「どうする?、熊(ション)兄」
 誰かが聞く。
「どうしよう?」
 熊漆(ションチー)は空を見上げると、歯ぎしりした。
「帰るか。この木を担(かつ)いで帰って、続きは明日だ」
 まだ午後三時過ぎだというのに、空は暗くなりかけ、大粒の雪が舞い始めていた。どうやら夜には大雪になりそうだ。
 林秋石(リンチウシー)が熊漆(ションチー)に聞く。
「一つの棺に木は何本必要なんです?」
「村長は三本だと言っていた。あと二日頑張れば何とかなる。さっ、誰か手を貸してくれ」
 林秋石(リンチウシー)が木を担ごうと一歩踏み出した瞬間、阮白潔(ルアンバイジエ)の言葉が聞こえた。
「やだ、足をくじいちゃったみたい。秋石(チウシー)、おんぶして山を下りてくれない?」
「えっ?」
 呆然としている林秋石(リンチウシー)に阮白潔(ルアンバイジエ)が言う。
「何ぼーっとしてるの? 早くしてちょうだい。こんなに人がいるんだから、あなたが賑やかしに行くことないでしょ」
 林秋石(リンチウシー)が何か言おうとした時、熊漆(ションチー)がその肩を軽く叩いた。
「行ってやれ」
「……」
 林秋石(リンチウシー)は阮白潔(ルアンバイジエ)を一瞥した。その可憐な様子からは別の意図は見出せなかったが、手がかりは敏感に嗅ぎ取った。どうやら阮白潔(ルアンバイジエ)の突然の要求は、想像していたほど単純なものではなさそうだ。
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